神社やお寺に並ぶお守りやお札は、さまざまなものにご利益があります。
なかでも「無病息災(むびょうそくさい)」は、「家内安全」「学業成就」「商売繁盛」などと並んで、よく目にするご利益です。
言葉の意味や「無病息災」を願う日本の伝統行事を紹介します。
ママライタープロフィール
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15歳と19歳の息子を持つ福岡在住のライター。(※原稿執筆時)
情報誌勤務を経てフリーランスのライターとして活動中。
DIYやお笑い鑑賞、フリマアプリで不用品を売ったり、ポイ活をしたりと、興味のおもむくままに楽しんでいます。
息子たちには野球マニア、潮干狩りのプロと呼ばれています。
無病息災とは?言葉の意味を解説
「無病息災(むびょうそくさい)」は「無病」「息災」の2つの言葉を合わせた四字熟語で、「病気にならず健康でいること」という意味です。
「無病」の意味
「無病」は読んで字のごとく「病がない」状態を指します。
手元にある辞書でも
病気にかからないでいること。
引用:現代国語例解辞典 小学館
と説明されています。
「息災」の意味
「息災」と聞いて思い出すのは、時代劇などで「息災であったか?」と尋ねるシーンです。
言葉の前後からニュアンスはわかりますが、「息災」という文字だけでは意味が分かりづらいため、手元にある辞書を引いてみました。
息災とは
達者であること。健康であること。「息災延命を祈る」「無病息災」「一病息災」
「息」はとどめる意。仏の力で衆生の災難をなくす意から。引用:現代国語例解辞典 小学館
とあり、元は仏教用語だということがわかります。
ちなみに「息」という漢字自体に「やめる」「おわる」「消える」といった意味があり、中国語で「息」は「止める」という意味の動詞です。
「無病」が「無病息災」以外でほとんど使われないのに対し、「息災」は「ご息災にお過ごしください」など、相手の健康を祈る意味でよく使われます。
また「無事息災」「一病息災」などの四字熟語もあります。
「家内安全」との違い
「家内安全」は「家内」(家の内、家族)、「安全」(危険がないこと)を合わせた四字熟語で「家族や家屋にけがや病気、災いがないこと」を意味します。
「無病息災」が個人の健康や無事を願う言葉であるのに対し、「家内安全」は家族や家屋を対象にしていて、人の病気やけがだけでなく、火災や盗難といった家屋や家族の災いも含まれます。
いずれも無事を願う言葉ですが、対象に違いがあります。
「無病息災」を願う日本の伝統行事
日本では、一年を通じて無病息災を願うさまざまな行事が行われています。
その多くが中国から伝わり、日本独自の形に変化したものです。
各行事の内容や由来を紹介します。
1月の七草粥
1月7日に七草粥を食べる風習は、元々中国から伝わったものです。
1月7日は五節句の一つ「人日(じんじつ)の節句」で、唐の時代の中国ではこの日に7種類の若菜を入れた汁物を食べて、無病息災を願いました。
奈良時代にこの風習が日本に伝わると、日本に昔からあった「若菜摘み」の風習と結びついて人々の間に根付いていきました。
七草粥を食べる理由は「正月にご馳走を食べて疲れた胃腸を休めるため」としばしば言われますが、七草粥が広まった当初は旧暦が用いられており、正月はこの時期ではありません。
本来は、無病息災を願う五節句の行事でした。
2月の節分
節分とは、新しい季節が始まる「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のこと。
季節の変わり目である節分には、邪気が入り込むといわれ、さまざまな対策が講じられていました。
なかでも、特に重要だと考えられていたのが、旧暦で新年の前日にあたる立春の節分です。
立春の節分には、邪気を払い、無病息災を願う「追儺(ついな)」という行事が宮中でおこなわれていました。
この「追儺」が、2月の節分のもとになったといわれています。
節分には豆を撒きますが、撒いた豆を、年齢より1つ多く食べると無病息災で過ごせるといわれています(地域により異なる場合も)。
節分の行事を江戸の町で初めて大々的におこなったのは浅草寺で、現在では、全国の寺や神社で節分会がおこなわれています。
3月の桃の節句
中国では3月最初の巳の日(みのひ)である「上巳」に川に入り、身を清めていました。
この「上巳(じょうし)の祓い」が日本に伝わって「桃の節句」の元となる宮中の禊の神事になったといわれています。
この日には人形を身代わりとして川に流す「流し雛」の行事をおこない、邪気を払っていました。
江戸時代になり、3月3日が「桃の節句」と制定されてからは、桃の花やひな人形を飾って女の子の無病息災を願うようになりました。
5月の端午の節句
端午の節句には、五月人形や鯉のぼりを飾り、柏餅やちまきを食べ、菖蒲湯につかる風習があります。
由来としてよく知られているのが、川に身を投げた楚の国の忠臣・屈原の遺体を守るため、国民が川にちまきを投げ入れた、という中国戦国時代の故事です。
屈原の命日は5月5日だったといわれています。
中国では、元々、この時期にちまきを食べていたため、屈原の故事と相まって端午の節句にちまきを食べる風習が広まっていきました。
また、菖蒲は厄除けに用いられる薬草で、古来の中国でも端午の節句に菖蒲を飾ったり、菖蒲酒を作ったりする風習がありました。
こうした習慣が日本に伝わり、端午の節句に疫病や災厄を避けるため、菖蒲やよもぎを飾り、ちまきを食べるようになったといわれています。
実は、当初の端午の節句は男の子だけの節句ではありませんでした。
菖蒲が、同じ読み方の「尚武(武道を重んじること)」を連想させることや、菖蒲の葉が剣の形に似ていることから、武道を重んじる江戸時代の武家で端午の節句が盛大に祝われるようになり、徐々に、男の子の健やかな成長と無病息災を願う節句になっていきました。
五月人形を飾る風習は、武家で鎧や兜を虫干ししていた習慣に由来します。
戦場で身を守ってくれる鎧兜を飾ることで、無病息災を願うようになったといわれています。
11月の七五三
七五三は、日本に古くからある風習に由来します。
3歳に髪を伸ばし始める「髪置(かみおき)」、5歳に男の子が初めて袴を着ける「袴着(はかまぎ)」、7歳に女の子が大人の帯を締める「帯解(おびとき)」です。
江戸時代に五代将軍徳川綱吉が自分の息子の七五三を盛大に執り行ったことから、庶民の間に広まっていったといわれています。
昔の日本では七五三の年齢まで子どもを健康に育てることは大変だったため、健康に育ってくれたことに感謝し、無病息災を願うようになりました。
12月の冬至
冬至は二十四節気の一つです。
二十四節気は1年を24等分したもので、冬至は約15日間ありますが、現代ではその初日を「冬至」と呼んでいます。
冬至は日照時間が最も短い日。
翌日から日照時間が長くなっていきます。
そのため、冬至は太陽が生まれ変わる日と考えられ、邪気を払い無病息災を願うために「かぼちゃを食べる」「ゆず湯に入る」といった風習がおこなわれてきました。
冬至には「ん」のつく食べ物を食べると良いといわれます。
その代表格が、かぼちゃ(なんきん)です。
また「冬至粥」と呼ばれる小豆粥も、赤い色が邪気を払うとして古くから冬至に食べられてきました。
ゆず湯に入る習慣は、厄払いの禊に由来します。
ゆずの強い香りが邪気を払い、体を温めて風邪を予防することから定着しました。
日本の伝統行事の多くが「無病息災」を願っておこなわれる
あらためて調べてみると、日本の伝統行事の多くが、無病息災を願うものだとわかりました。
子どもにまつわる行事も多く、親が子の健やかな健康を願う気持ちは昔も今も変わらないのだなと思います。
「節分の豆はどうして食べるの?」「どうして冬至にゆず湯に入るの?」と子どもに聞かれたときには、行事に込められた思いを伝え、子どもと一緒に四季折々の行事を大切におこないたいものです。
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